
近年、三井不動産株式会社が日本橋の街づくりプロジェクトを推進してきました。実は三井グループの祖である三井高利氏が、呉服店越後屋を開いてから、日本橋と三井との付き合いは約350年余りになります。
今年は三井高利氏の生誕400年ということもあり、日本橋でも「三井高利生誕400年記念事業 三井高利展」が開催されました。保険代理店は地域密着の商売、やはりマーケティングの天才から日本橋での成功事例を学びたいということで展示会に参加してみました。
江戸随一の呉服街であった日本橋の本町1丁目に開いた小さな店が「三井越後屋呉服店」の始まりです。後に日本橋の室町に移転し、巨大な店となります。1904年には「三越」に改称して日本初の百貨店となりました。当時も、江戸日本橋のリーディングカンパニーであったと推測します。
商売繁盛したのには当然理由があります。それまでの商売は、注文のあった商品を屋敷に持参し、そのつど値段を決め、代金はお盆前や年末にまとめて集金する掛け売りが主流だったようです。三井高利氏は、これからの商いは武士だけでなく、町人も相手にすべきだと考え、商品に定価をつけて現金払いで売る正札販売を始めました。まさに時代の先をいくセンセーショナルな新手法です。
それだけでなく、アイコンとなった暖簾印は現在のブランドに繋がる考え方ですし、雨の時に暖簾印の入った和傘を貸し出すサービスは、お客さまが動く広告塔になり大きな宣伝効果になったようです。
また、薄利多売を心掛けただけでなく、布地の切り売りや衣装の即時仕立てなど新商法で大成功を収めたことは、『日本永代蔵』の著者である井原西鶴氏が大商人の手本として紹介しています。
常識破りのアイデアで、江戸庶民の心をギュッとつかんだ越後屋と三井高利氏。やはり、マーケティングや経営の才能は時代を超越しております。偉大な先人から多くのことを学び、日本橋の企業をサポート出来る私達でありたいなと心の底から思いました。
